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OBOG会事務局ブログリレー #2(前編)

  • 執筆者の写真: dkoshienalumni
    dkoshienalumni
  • 1月18日
  • 読了時間: 7分

ディベート甲子園OBOG会事務局の宍戸です。

事務局メンバーによるブログ、第2弾です。前編となる今回は、高校卒業後から現在にいたるまでの、私とディベートとの関わりについて書いてゆきたいと思います。

 

高校時代のディベート活動

まずは自己紹介もかねて思い出話を少し。私がディベートを始めたのは高校入学がきっかけでした。入部こそ競技名のカッコよさに惹かれてという安易な理由によるものでしたが、最初の練習試合で立論を担当したところ質疑応答で大いにやり込められて火がつき、以後は高2秋の引退までのめり込むように活動。10代で負けず嫌いの性分がことさら激しく発揮されていたころでしたから、ひとつも負けてたまるかと奮闘したのを覚えています。


大学以降の生活とディベート

しかし大学に入ると、実のところ他にも楽しいことがたくさんできちゃったんですね。第1弾の松元さんはまさに縦にも横にも精力的にディベート活動にかかわってきたとお書きになっていましたが、はて私の大学時代はと振り返ってみると、ディベートへの関わりは自分なりに続けてこそいたものの、高校時代ほどの熱量で活動していたとは言えません。


けれどもそうしたなかでこそ、私のなかでディベートは競技ひとつで完結するものとしてではなく、ほかの営みと相互に影響しあうものへと変化していったように思います。ここでは、その関連を2つの視点から振り返ってみます。


ディベートから得たもの

・大学での研究とディベート

私が大学にて志すようになった歴史学という学問は、おそらく多くの方がディベートとは縁遠いものであろうと思われることでしょう。ましてや、私が現在まで勉強しているのは近世イスラーム史でして、現代のことでも、日本の政治社会に関することでもありません。


しかし、方法論の観点で見ると、高校時代にディベートで培ってきたことは、学部入学以降の研究に大きな示唆をもたらしてくれました。大学での研究において最も有用であったのは、ひとつのテキストから引き出せる情報はただひとつではない、というディベートで養った感覚です。ごく初期に読んだ資料がリサーチの深化にともなって重要なものに変化した、とか、自分たちが見過ごしていた記述が他のチームによって強力な議論の根拠とされた、といった事態は、おそらく現役でディベートに勤しんでおられる選手の皆さんであれば幾度となく経験されているかと思います。いっぽう歴史学では、とくに対象が古い時代になればなるほど使える材料は限られてきますし、エビデンスの追加・更新といった事態もさほど頻繁に生じるわけではありません。こうした状況下では、異なる研究どうしでの影響と、それ以上にテキストの不断の読み直しが研究の発展の原動力となります。このような、すでにあるテキストを別の人間によって、別の時空のなかで幾度となく読み直す、という慣行に馴染むにあたって、参照しうる経験を高校時代に積むことができていたのは大きな資産となりました。


・文芸創作とディベート

学部時代の4年間の生活のなかで、私が趣味としたのはサークルでの文芸創作でした。これも、現実の社会問題を扱うディベートとは距離のあるものに映るやもしれません。


しかし、自らの思想を単純に言語化したものではないが、かといって全く心にもないことを口にすることが推奨されるわけではない、という奇妙なバランス感覚が求められるという点で、両者は非常に似通っています。ときに自らの思想とは相対する主張を、もっとも説得力のある形で展開しなければならないディベートの経験は、この種のバランス感覚を身に着けるうえで大いに役立ちました。具体的には、目的としての戦略と、手段としてのストーリー構築を意識することが有用であるということを、高校生のうちに学べたことに意義があったように思います。勝敗という形でフィードバックされるディベートと異なり、創作活動では原則的にはどんなことを書いても咎められることがありませんから、そういう無限大の自由ゆえにかえって書くべきことが思いつかず行き詰まる、といった場面がしばしば生じます。しかし、人の心を動かすにあたっては、読み手の思考をどういう方向に持ってゆきたいかという戦略と、そのためにどういう論理展開を仕込むのかというストーリー構築が重要であるという意識に立ち返るで、こうした迷いを乗り越えていくらかの作品を書き上げることができました。


ディベートへ還元されたもの

・情報検索能力

大学での生活で情報検索のノウハウを身に着けたことは、ディベートでも大いに役立っています。こう書くと、順序が逆ではないか 、と少なくない人は感じるかもしれません。が、少なくとも私に限って言えば、高校時代のリサーチ技術は、お世辞にも質の高いものではありませんでした。


恐れ多くもその原因を競技の構造に求めるならば、ディベートの多くの論題が様々な分野にまたがっていて関連情報がいくらでも出てくるという点、また(こう書くと誤解を招きそうですが)自分の出した議論と試合の外との関わりについて責任が追及されることはないという点が関係しているように思います。すなわち、今ではインターネットで検索をかければ膨大な記事や論文が出てきますし、書籍も隣接分野を含めればかなりの数に上るわけですが、結局はそこから(最低限の基準をクリアした)勝てる材料を引っ張ってくればいいのであって、体系的にリサーチをせねばならないという意識が高校生の時にはなかなか働かなかったんですね。ところが大学に入ると、ある程度明確な問いを立てて、それが歴史的にどう議論されてきたのかをちゃんと追わないことには議論のスタートラインにすら立てないわけです。そこで初めて参考文献リストの追跡や書誌情報の管理の方法に細心の注意を払わなければならないという意識が芽生えました。


そういう意識を養ったうえで、改めて調査型ディベートに向かうと、高校時代にやっていたリサーチがいかに問題の多いものであったかを痛感させられることになりました。論文にあたったときにはその引用元や引用先で重要そうなものがないかを最初にチェックするようになりましたし、研究史上のどういった問題意識のなかで書かれているのかに注意を払うようになりました。


・教育の経験

学部時代には個別指導塾でアルバイトをしていました。それまで人にものを教えるという経験をあまりしてこなかったこともあって、このアルバイトでは、すでに自分が理解していることを、まだ理解できていない人に伝えるということの困難を痛感することになりました。


そこで学んだのは、物事を他者に伝える際に、その相手がどんな属性であるかをきちんと考慮したうえで言語化することの重要さでした。ディベートに熱中していた高校生の頃の私は、論理的な主張を組み立てることができれば、例外を除いてすべての人を説得することができるんだという傲慢な感覚を持っていたように思います。しかし、世の中の人々はそれぞれ知識レベルも違いますし、背景となる属性も異なる。当然、彼らに情報を伝達するときに必要となるアプローチもそれぞれ違ってくるわけです。大げさに言うならば、教育、それもマンツーマンでの指導の経験は、高校時代に私が未熟さゆえにディベートから得ていた誤った教訓を修正するのに役立ちました。


そして、これがディベートにおいても有効であったことは言うまでもないでしょう。ジャッジとて人間ですから、基礎となる考え方や感じ方はそれぞれ異なりますし、ディベートで要請されるコミュニケーションはジャッジに対するものだけではありません。チームメイトとの協働や、対戦相手へのリスペクトにあたっては、それぞれの立ち位置に配慮した振舞いが求められるはずです。さらに、私自身がジャッジとして選手としてフィードバックを行う際にも、選手の年齢層や各チームの遍歴を強く意識するようになりました。


(後編へ続く)

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